【蜘蛛の糸】

手を伸ばしても届かない。目の前で光ってる蜘蛛の糸。
それを掴むことすら、許されない。
赤い、血の池。沈む針山。
地獄の底で足掻く様を見て貴方も笑っていたのでしょう?

名前は、適当にあった。
苗字は覚えているけれど忘れたいほどだ。

ああ、そういえば出来のいい姉が居たことは覚えている。

家ではいつも怒られていた記憶がある。
見るもの全てが大きすぎて、皆俺を睨んでいた。
叱られるのが怖かった。懸命に、手を抜かずに練習もした。
父も、母も、祖父も、俺に冷たかった。
ただ唯一優しかった姉は、俺を見てこう言った。

「まだ小さいから、無理をする必要は無いよ。」

お守り、と付けてくれた頭布は姉の首についている布と一緒だった。
姉は、とにかく優しかった。それに優秀だった。
俺はその姉に付いていきたかったし、姉の顔に泥を塗ることもしたくなかった。
だから、離れて一人で練習をしたし、祖父に怒られても殴られてもやめることはなかった。

しばらくして、姉は良い所へ貰われていった。
家族は鼻高々に笑った。誰でも知るような、良い武将のところだ。
そのあとに、俺の待遇は冷たくなった。出来損ないと嘲笑われてから。

俺は、忍術を学ぶために遠い寺子屋へ移された。
恐らく、厄介者払いだったのだろう。なんとなく、わかっていた。
でなければ、こんな遠い場所に連れてくることはない。
それでも、何のためかはわからなかったが、懸命に足掻いた。
この世界が地獄の底だと思いたく無かったからかもしれない。

ある日、俺の元へ1人の男が来た。
彼は、名前を良く知られていない武将だった。
男は俺を見て家に来いと言った。学校の先生ですら、俺を引き取るのはやめろというほどだった。

「否、まだ幼い。その努力は見どころがある。」

俺に手を差し出したその人の手は、誰よりも大きく、温かった。
俺は、必要とされるのと同時に、この人のことを誰よりも守ろうと思った。
心でそう、誓った。

男は、主様は瞬く間に天下を統一した。
主様は、俺も大切にしてくれた。時折そばに置いて話もしてくれた。
主様には、奥方と息子様が居たらしい。しかし、敵軍に捕らわれ2人とも自害、もしくは殺害された。
俺は、主様に「何か力になりたい。」と訴えた。
主様は俺を見据えて「それなら、あの軍にいる、”あいつ”を浚ってきてほしい。」と笑顔で言った。


その笑顔を見た瞬間、俺はこの人が好きだとわかった。

敵軍には、5人1組の人数で動いた。
多すぎて見つかってしまっても困るから、という理由で。
けれど、この時俺は行かない方が良かったんだ。
無理をして、あの人のことで浮かれていたから、敵に見つかったんだ。
敵軍に見つかった俺は羽交い絞めにされた。痛かったし、苦しかった。
聞こえた言葉は「まだ子供か」「大きくなったら面倒だ。」という言葉。
がむしゃらに助けを呼んでも、誰も来てはくれなかった。
来れなかったのか、見殺しにしたのかわからない。
目に筆がかかると、目が焼ける様に痛んだ。
苦しくて、涙も出なくて、息もできなかった。滲む世界に、何かを見たような気がした。

目が覚めると、いつも見る天井があった。
誰かが、ここに還してくれたのだろう。
片方の目は何も見えなかった。
手を当てると、グズグズという音を立てて腐った目玉と瞼が落ちた。
ああ、なくなってしまった。悲しむより、なによりその言葉が突き刺さった。
こんな姿を主様に見せることはできない。俺は布で目を覆った。
これから先、誰にも見せることはないだろう。

任務は全体的に成功したのか、主様の隣には”あいつ”がいた。
あいつは、主様に対して暴言を吐き、罵っていた。
何度、殺してやろうと思ったかわからなかった。けれど、主様が望んだあいつを生かさなければならなかった。
それでも、主様は優しい表情をあいつに向けていた。

「主様は、何故、あの人を傍に置くのですか。」
「ああ、あいつは少し乱暴だが、妻と息子によく似ている。あいつが傍にいるだけで、妻と息子が戻ってきた気分になれるんだ。」
「俺では、俺ではだめなのですか。俺は貴方を好いております。心よりお慕いし申しております。」

震える声だったと思う。小さく、小さい声で言ったと思う。
それを聞いた主様の顔は険しかった。

「お前は何か勘違いをしている。お前のその気持ちは「尊敬」であって「恋心」ではない。
まだ子供だからわからないと思うが、それは錯覚しているだけだ。」

ぴしゃりと言われたその言葉に、俺は心にどろりとした黒いものが生まれたのに気付いた。
嗚呼、この人は、俺を視てはいなかった。
それが悲しいのではなく、俺は、この気持ちが、恋心だと思い込んでいたのが苦しかった。
いや、それは確実に恋心だったのだろう。
主様は、主様は…。

その時から、俺の体から『針』が出た。
まるで、地獄に伝わる針山地獄のように。
この能力を使うたび、体は痛み、そこから銀の針が出てくる。
主様に気持ちを否定されたとしても、俺は守ると言ったから。
俺は、守りたかった。そう、思ったはずだ。
けれど、きっと心の奥底の黒いものはそう思わなかったんだと思う。

自分の気持ちには素直にならなきゃ、と囁いていた気がするんだ。

俺は、俺は。
自分の気持ちに素直になりたかった。
あれから幾度の任務をこなしたが、心が満たされることはなかった。
殺意が、狂おしい愛情に変わるときに、俺は『鬼』になったんだ。
嗚呼、ごめんなさい。主様。
寝ている主様の首を斬った。血しぶきが舞った。
それは断続的に、脈の動きをして。あたり一面血の沼になった。
血は俺の目も、髪も、姉とお揃いの布も赤黒く染めた。
目の前が血で赤くなると、俺は動かない首に口づけをした。

死ねば逢瀬で出会えるのだろう。
誰かが、そんなことを言っていた。
主の首を、箱に詰めて俺は松の木に縄を結んだ。
首に、縄がかかる。そっと目を閉じる。
主様と、一緒であれば地獄でもいい。
けれど俺の心とは裏腹に縄が切れる。
首に繋がれた縄は、あまりにも硬く、解けそうになかった。
いや、もう解く気すらなかったのだろう。
主の首が入った箱を抱えて、俺は死に逝く旅へ出た。

何年も、何年も、何年も、人を避け、獣を避け、死を求めて彷徨った。
けれど、俺は死ねなかった。気づいたら、多分100年は経っていたのだろう。
自分の体は変わらずあの日のままだった。
それも気づかずに、俺は千を超える夜を過ごした。

彷徨い続けて、何年か経った際、山本と名乗る男が俺を引き取った。
そこは妖怪が居る場所で、皆を家族と言っていた。
俺は、そこに混ざる権利はないと思った。
この話はする必要は無いと思う。
俺は、主様を「家族」に預け、一人外に出た。
彷徨ううちに、気づいたら、世界は変わっていた。
何処で、道を間違えたのだろう。
後ろを振り向いても、「元の世界に戻る道はない」
ああ、でもそれでも良いのだ。
主様と、関係を切った。
俺は、ココで一人生きよう。
間にか手にした「糸」の力を見るたびに、心の中で苦笑する。

「まるで、蜘蛛の意図じゃないか。」と。

inserted by FC2 system