例えば、俺が生きていても死んでいても、誰も気づくことはないし。
悪夢の中で貴方を呼んでも、虚空へと消えて逝くのでしょう。
貴方を想い泣いた夜も、貴方を殺し泣いた雨も
二度と、二度とは還ってこない。
俺が殺してしまった貴方も。
求めた蜘蛛の糸は、容易く切れてしまった。
それは、あの人に『愛されたい』と願ったための罪。


生まれた時から、虐げられていたわけではなかった。
違う、俺の力が、及ばなかっただけ。
全部俺のせいで、俺が弱いからダメだっただけ。
あれから俺は泣くことも、怒ることも、笑うことも無くなっていた。
感情は、きっとあの時一緒に殺したんだ。
きっと誰にも、この心は開けないんだろう。
誰かに愛されるくらいならば、いっそ誰にも会わなければいい。
人を避ける様に、生きてきた。それは妖怪も一緒で。
誰かと共にいることすら億劫で。
だから、俺は今此処で一人でいる。

荒川城砦。
何かが積みあがってできたような不格好な場所。
姿を隠すならここが良いだろうと思ってやってきた場所。
目を閉じれば、眠ることは出来なくても周りに音を向けられる。
俺にとって安堵の場所はここでいいのだろうか。
そう思いながらも、目を小さくつぶる。
境目で見るのは貴方の夢。

今日は少し、場所を移動しよう。
同じところにいつまでも居るのは、慣れていない。
だから、今日は別のところに行きたかった。
いつもの通り歩いている。
その時、いつもとは違うにおいが鼻をかすめる。
それは煙の香りだった。
何かを燻したようなものではなく、どちらかというと香に似た香りで。
誰か、居るのはわかる。足音も、聞こえる。
物好きな奴だ。俺は何も持っていない。それに、俺に関わると碌なことはない。
しばらく回っていれば飽きて何処かへ行くだろう。

一時間ほど、城砦を回っているが背後の奴は全くと言っていいほどこちらから離れない。
鬱陶しい。足を止めた。

「…誰。」

俺の後ろには、誰もいない。
けれど、微かに残る煙の香り。
それは徐々に姿を纏い、人の姿になる。
煙々羅。話には聞いていたが、本当に実在していたとは思わなかった。
否、それより、人の姿を成したことに驚いたのではない。
その姿、その成りに驚いた。
恐らく良い場所の者だろう。そんな奴が俺に何の用だと。
城砦にも、多くの妖怪が居るが、このような成りの奴はほぼ見かけない。
そんな奴が俺に何の用だと。無意識に、身構えた。

「驚かせて悪いな。」

そういって、煙々羅は笑みを浮かべた。
相手の考えが読めない、含み笑みにも似たその表情に俺は半歩後ずさる。
煙々羅は一歩こちらに踏み出す。

「何の用?あんまり近づかないで。煙たい。」

相手を否定する言葉。
その言葉こそ人を貶す言葉ではないだろう。
しかし、煙が本来の姿である煙々羅にとっては煙々羅を否定する言葉。
だが、彼はそれでも俺に近づく。
俺は、1歩1歩後ろに下がる。
それでも、彼は俺に近づく。

「俺さあの相手を探していてな、あまたまお前が目に留まった。」
「……?俺?」
「そうだ、お前の身のこなし、もしかして忍びか?」

身のこなしだけで、忍びと見抜くとは。
只者では無いのだろう。
ならば敵か、相手、つまり俺とたたかうという事だろうか。
闘う意志、それは俺にはない。
それに、誰かを傷つける趣味も俺にはない。
弱い相手なら戦う気も起きないだろう。

「・・・・・俺、忍だけど、あんまり強くない、だから闘うなら、ほかのやつにして」
「否、そういう意味ではない。」
「じゃあ、何?」

闘う以外の相手に思いつかない。
それに、飄々と笑う煙々羅に対し俺も少し苛立ちを隠せないでいた。
相手の表情は読めない。眉もない。
だから喜怒哀楽がつかみにくい。
人間で一番表情が出るのは眉だ。
だから俺は今眉を顰めている。
相手の言葉に対し考えているのと、苛立ちだろう。

「俺様はお前の目に釣られて着いてきた、それだけだ。」

目。
そういえば、最初は何色だったか。
俺の目は、あれから血を浴びて濁ってしまった気がする。
其れに、もしそういう意味だとすれば。
あいつは性別を間違えているのではないだろうか。

「…俺、男だし、誰にも、興味ないから。もう行くね。」

それに、俺は誰にも愛されてはいけない。
愛することも許されていない。
そうすると、傷つくのは自分だし、相手も傷つけてしまう。
誰もそんなこと望んでいないはずだ。
背を向けて、立ち去ろうとした俺の背中に、彼の言葉が投げかけられる。

「俺様に仕えてくれないか?」

真っ直ぐとした聲。その声に立ち止まる。

「俺様は職業柄命を狙われることも少なくない。だからもし、お前が主のいない忍ならばお前を雇いたい・・・・・頼む」

ふと、昔のことを思い出した。
そう、あの人も、こう言った。
『俺に仕えてくれないか。』
そう言った主様はもういない。
それに、今俺の背中に居る奴は主様じゃない。
また、繰り返す。
そう思うと、俺の中に怒りが巻き上がる。

「・・・・馬鹿じゃないの?」

やめて

「名前も知らない、さっき初めてあった人に仕えろ、なんて、馬鹿みたい。」

そういうことを言いたいわけじゃない。

「帰る。俺に構わないで。」

俺は誰に対して怒ってるんだ。
まぎれもなく、俺自身じゃないか。
何で、八つ当たりをしているんだろう。
意味の解らない怒りと、悲しみ。
俺はこの意味を知りたくない。
また、繰り返されてしまうと考えてしまうと。
この人だって、傷つけたくはないのだ。

その目の前で、彼は嗚咽を漏らす。
そして、俯いた彼から溢れるのは
涙だ。

この人は何故、泣いているのだろう。
ついさっき、さっきだ。
ほんの数分前に会っただけなのに。
こうして、断っただけなのに。
何故、泣いているのだろう。
彼の声を聴いて人の気配がした。
止めどなくあふれる涙は冷たい底にさらに黒い染みを作る。

違う、俺は、お前を泣かせたいわけじゃない。
違うんだ、ただ、俺は。

「…わかった、だから、泣かないで。恥ずかしい。」

これは本心の言葉なのだろうか。
違う、けれど、これが彼らの出合いの言葉。
この人はそこで俺を放って、別の誰かを見つければ良かったものを、何処か気にかけてしまったのだろう。

彼の目から一粒の涙が落ちる。
何故泣いているのだろう。
否、そう考えるべきではない。
彼は『泣くことのできる存在』なんだ。
それも、自分に対して。
それは、俺が忘れてしまった小さいけれど大きな感情。
当たり前すぎて、俺が亡くしてしまった大切な感情。

「行こう、人多過ぎるから。」

彼の手を引き、誘導する。
初めて手を取った。
それは紛れもなく、人のぬくもりで。
でも、彼は人ではなくて。
少し困惑こそしたけれど。
俺は、思い出していた。
こんな出会いではなかった。
あの人との出会いは。
俺の為に泣いてくれなかったし、あの人は自分の為にも泣くことはなかった。
だから、きっと。

「俺、弱いし、こんなのだけど、それでもいいなら考えてもいい。」

口から出た言葉は誠か、虚か。
そんなことどうでもよかった。
俺は、そんな言葉をつぶやいていた。
一番驚いたのは自分だけれど、それ以上に、彼が笑顔で俺を見る。
涙で濡らした、酷い顔で。

「・・・・・ありがとう。」

その顔は、悲しみではなく、喜びで。


「酷い顔。俺は……九光。」
「…閻魔だ、よろしくな、九光。」
「閻魔、さん。」

主。
仕えるのは何年振りだろう。
その歴史は、俺の首についている首つりの縄が知っている。
俺は、必要とされているのだろうか。
そう考えると、心が少し暖かくなった。

「えっと、閻魔、さん。目腫れてる。姿、さっきみたいにかくせませんか。」


俺が手を伸ばした蜘蛛の糸は容易く切れてしまった。
けれど、次に俺の手を掴んだのは煙だった。
その煙は天を目指すことはないだろう。
けれど、俺の手をしっかり握ってくれている。

俺は、単純かもしれないが、それを信じている。

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